不細工な家は
建てたくありません。
家づくり、妥協したくない。
妥協すればそれで終わり。
だから妥協したくないのです。
プロとしてのこだわりを捨て妥協してまで、家をつくりたいとは思いません。
私にとって妥協はプロとしての責任放棄です。
現在日本では800万戸の空き家があるといわれています。
総世帯数約5200万世帯に対して総住宅数は約6000万戸なのです。
もうすでに家は余っているのです。
それでも、なお年間40万戸の家が建て続けられているのです。
もはや住むためだけの家は、十分に足りています。
家がそこら中にあふれ、空き家もたくさんあることをみなさんも
ご存知のはずです、なのに、なぜ新築を建てるのでしょうか?
それは、住みたい家がないからです。
私たちが子供の頃に建てられた家が余っています。
好みは変わります。ライフスタイルも変わります。
家族の人数も変わります。
30年前、当時ピカピカの最先端のお家の30年後の姿がそこら中にあります。
私たち好みの家がない。
ないから新しく建てるしかないのです。
きっとそう言われることでしょう。
家を建てて壊して、また建てる。この循環は工務店にはありがたい話です。
解体にもお金がかかります。
解体すらできない家、住み人知らずの家が800万戸。
倒壊の危険や治安の問題、行政サービスのコストがかかりすぎるという点などなど
社会問題になりつつあります。
これは日本の家の寿命が短すぎるということと、
新築よりもリフォームの方がお金がかかるという、不思議な現象が原因なのだろうと思います。
住まい手の好みやスタイルは変わる、技術は進歩する。
家だけは30年前と同じでは、通用しないことは、理解できます。
じゃあ、いまの家づくりの30年後はどうでしょうか?
私は、さほど今と状況は変わらないのではないかと想像します。
今の家づくりも、30年前にはりきって家を建ててくれた両親と
同じことをしているのではないだろうか?
そんな風に思うのです。
これ以上空き家を増やさないような家を建てたいのです。
私は30年後に空き家になるような家なら、建てたくない。
なんども言いますが、今現在の家づくりは、あえて建てるお家なのです。
あえて建てるのですから、私は不細工な家はつくりたくないのです。
不細工とは、見た目が悪いこと、機能が悪いこと。
そして、つくり手の私の心が悪いこと、です。
「形態は機能にしたがう」
有名な建築家が言いました。
機能性を高めていくと、家の形も美しくなる。
もはや住むためだけの家は余っています。
あえて建てる家なのだから、建てるだけの価値のある家にしたい。
雨風をしのぎ、子供を育て、家族が健康で暮らせる家の
もう少し先の価値を求めたいのです。
ゆったりと静かに暮らしたい、四季のうつろいを感じたい、
晴れの日だけでなく、雨の日も、冬の日も自然体で暮らしたい
楽しく暮らしたい。
私は暮らしの質にこだわりたいのです。
そのためには、不細工な家ではダメなのです。
不細工とは、形ではありません。
形は結果です。機能を追求した結果に過ぎません。
30年後も、住みたいと言ってもらえる機能を持たせた家が
私の目指す家なのです。
そして、最も不細工を戒めるところは、私自身です。
最もやりたくない不細工な家とは、私の心の問題なのです。
家づくりにおいて妥協しない。
私の妥協の産物が、すなわち不細工な家のことなのです。