住まい手は、より良く生きるために家を建てる。
つくり手は、生きていくために家を壊す。
東京の街を歩いた。
クレーンのブームが空に向かってまっすぐに伸びている。
生コン車が街を駆け抜けていく。
高い仮囲いの塀の中では、工事が着々と進んでいるのだろう。
どんどんどんどん、、、、、、、、、、、、、、
新しい建物が建っていく。
建てて、建てて、壊して、また建てる。
止まらない。
この運動は止まらない。
循環しているなあ。そう思いながら、東京の街を歩いた。
このビルの新築工事は誰のために建てているのかなあ、と
ふと疑問に思う。
クライアントの為に建てているのか?
建設会社の為に建てているのか?
そう、建設会社の為に建てているような気がしてきたのです。
これからは家の話です。
住まい手は生きていくために家を建てる
つくり手は生きていくために家を建てる。
同じ。
でも大きく違うことがあります。
それは、つくり手は生きていくために家を壊す、ということです。
壊さないと循環しないから。
満期がきたら壊さないといけないのです。
つまり、
つくり手は、生きていくために、家をつくり、家を壊し、
そしてまた家をつくるのです。
もはや800万戸の家が余っているこのご時世。
余ってるのに、まだまだ新しく家は建てられる。
なぜならば、建築会社が生きていくためにです。
もちろん住まい手の要望はあるのでしょうが、
新築ありきの前提での循環である。
古屋は住みづらく、リフォームにはお金がかかる。
新築を建てた方が、むしろ安くなる、から。という追い風に乗って。
先日、会社のプリンターが壊れました。
修理の依頼をしました。
修理代が買替え費用よりも高い見積もりでした。
新品が安いからしょうがない。と自分を納得させるのだが
何かおかしいと思うのは私だけでしょうか?
今さらですが。
つまり、
この電気機器は、壊れることを想定してつくられていない。
と思うのです。
商品開発の段階で果たして“修理”という思想が入っているのでしょうか。
つくり手の意図は、壊れたら、新品を買ってもらおう。
がミエミエです。
機器は必ず壊れる。
その時に修理ができることを前提にこの製品が作られたら
本当にこんなことになるのだろうか?と考えてしまう。
もう一つは、新品の値段が安くなりすぎた。とも言えます。
新品の価格が高ければ、安く済ます選択は修理するしかないのですから。
しかし、企業側からは、新品を買ってもらわないといけない。
企業は、生きるために製品をつくり、生きるために、
数年ごとに買い替えさせる。
そんな循環を企てるのでしょうか。(ちょっと言い過ぎですかね)
つくるだけではダメなのです。
循環する仕組みをつくらないといけないのですね。
この“電化製品”の文字を“家”に置き換えて、考えてみると。。。。。
家も同様です。
どんどん量産され続けています。
住宅業界の循環は、建てて壊してまた建てる。です。
新築の循環です。
中古住宅市場でのリフォームの循環ではありません。
建てて、直して、また売る。ではありません。
新品の価格競争は熾烈を極め、その結果、プリンターは使い捨てになりました。
これは私の勝手な言いっぷりですが
住宅でも同じことになっていないか?と考えるのです。
家の価格も安くなりました。その結果は。。。。。。
『使い捨ての家』の誕生です。
日本の家の寿命30年という人がいます。
これが今の日本の家の現状です。
それは『使い捨ての家』なのでしょうか?
30年が長いか短いか。
みなさんはどう考えられますか?
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